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京都府亀岡市は八方を山に囲まれた盆地。
その立地からロンドンに次いで世界二位の霧の都と言われています。
亀岡盆地を形成する朝日山には京都の隠れ紅葉スポットとしてひそかに人気を集める『神蔵寺』があります。
今回は、この『神蔵寺』にまつわる知られざる鬼伝説にスポットを当ててご紹介します。
『神蔵寺』の歴史について
『神蔵寺』の歴史は、宗派の入れ替わりと興廃の繰り返しです。
『神蔵寺』は延暦元年(790年)に伝教大師 最澄によって行場として開かれたお寺です。もともと交通の要であった亀岡盆地の西部・朝日山に最澄が開基道場を開いたことが始まりとされています。
のちに『神蔵寺』は、仏堂伽藍塔頭が26院もあった大寺になり、源氏一門の崇拝が篤く隆盛を極めました。鬼退治で有名な源頼光の帰依の寺とも云われ、また、源頼政も帰依の寺であったと云われています。
しかし、源頼政の挙兵のさい、三井寺(園城寺)の挙兵に参加、敗戦により、平氏により所領没収されて神蔵寺のお堂は荒廃してしまいました。
その後、天台宗達玄僧都により僧舎を再建され、女人禁制を解き、再び丹波随一をほこるほどになり、さらには室町幕府の管領・細川頼元の補修を受けて、より隆盛をほこりました。
しかし、明智光秀の丹波平定により焼失。本尊は信者によって守られ再建されました。
江戸時代に浄土宗光明寺派の願西法師が本堂及び阿弥陀堂、鐘楼を再建。現在の本堂はその当時のものといわれます
その後、亀山城主松平忠昭が臨済宗妙心寺派の高僧高隠玄厚を請じて中興、依頼継承されて今日に至り、その立地から訪れる事が容易ではない為、今日では京都の隠れ紅葉スポットとして注目を集めています。
『神蔵寺』の桜石伝説
むかしむかし、朝日山には鬼が出て人々を恐怖に陥れておりました。
鬼に恐怖した民は朝日山の行者に退治を頼みました。
行者が退散の祈祷をはじめると、まもなく1本の桜の木に雷が落ち色鮮やかな石が辺りに散らばりました。
この石を投げつけると鬼は涙を流しながら退散し隣の山へ逃げていきました。
鬼の落とした涙は熱く、後に温泉として民に癒やしをもたらしました。
この桜石伝説に登場する、行者が鬼退治の為に泊まったとされるのが『神蔵寺』です。
この桜石を投げ鬼を退散させるという方法は全国に広まりました。
皆さんが毎年行っている行事のモデルとなっており、今日では節分の豆まきと呼ばれています。
桜石は今日でも亀岡の朝日山でのみ採集される珍しい石です。
桜石伝説を裏づけるように、『神蔵寺』の麓には湯の花温泉が栄え観光スポットとなっています。
『神蔵寺』のもう一つの鬼伝説
鬼伝説で最も有名なのは大江山の鬼伝説ではないでしょうか。
陰陽師安倍晴明によって見破られた丹後の大江山に潜む酒呑童子。
その悪鬼を酒に酔わせて退治するという源頼光の鬼退治は、現在でも壬生狂言で演じられているほど有名です。
しかしご存じでしょうか。
実はこの話、丹後の大江山ではなく丹波の大枝山が舞台だという説があることを。
丹波の大枝山は亀岡と京都を結ぶ位置にあります。
そして、桜石伝説の鬼が逃げ込んだ隣山もズバリその大枝山なのです。
つまり酒呑童子は桜石伝説の鬼と同一の鬼ということになります。
この説を裏づけるのが『神蔵寺』に残る記録です。
源頼光が帰依にしていた寺とあります。
源頼光は『神蔵寺』を拠点にここ亀岡で酒呑童子の首を討ち取ったのです。
酒呑童子の首を埋葬したとされる首塚大明神が亀岡の大枝山に存在しているということも、見過ごすことのできない事実です。
このように神蔵寺は鬼退治の拠点としての役目を果たしてきました。
『神蔵寺』は隠れた紅葉スポット
そんな鬼に縁の深い『神蔵寺』ですが、観光地としては隠れ紅葉スポットとして有名です。
特に樹齢400年の大楓の紅葉は圧巻で、例年一足早く見頃を終える大楓の紅葉の絨毯はとても綺麗です。
立地から観光客は少なく、貸し切り状態で紅葉を独り占めできることもしばしば。
シーズンには夜のライトアップもされています。
見返り橋から眺める銀杏、紅葉と門の隙間から見える大楓の風景は額縁写真のようでオススメです。
市内の喧騒から離れて、ゆっくり紅葉を楽しめるスポットとして『神蔵寺』はぴったり当てはまるお寺です。
例年他のスポットより見頃が早く、大楓は11月初旬に見頃を迎えます。これだけ立派な大楓の紅葉が見られるのは京都でも『神蔵寺』だけです。
『神蔵寺』の薬師如来
本尊の薬師如来像は伝教大師最澄御自作と伝えられています。
薬師如来とは、 正しくは薬師瑠璃光如来といい、東方の瑠璃光世界の教主であり、瑠璃光王とか大医王尊などと呼びます。
灌頂経や薬師瑠璃光如来本願功徳経には、十二の大願、すなわち除病安楽、諸根具足、苦悩解脱などがあり、現世利益の仏として信仰を集めました。
脇侍として、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩、さらに眷属として十二神将を従えています。これがごく一般的な形式です。
十二神将は、それぞれ七千の兵を率いて、本願の成就と衆生の護持をすると言われています。
後には十二神将を十二支に配するようになったようです。
本殿焼失の際にもこの薬師如来様は民に守られ、今日も神蔵寺に祀られています。
以上、亀岡の魅力溢れる『神蔵寺』の紹介でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。皆様のご参考になれれば幸いです。
今回の観光地はココ↓です。