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こんにちは。虎部です。
ちょっと有給をいただいて2泊3日で、和歌山の熊野旅行に行ってきました。以前から和歌山の熊野へは行ってみたいとずっと思っておりましたが、時間的にも天候的にも、タイミングが合わず、やっと今回行くことができました。
まず1日目は、和歌山への移動時間に半日を費やしてしましたが、向かう道中、名古屋に立ち寄り「名古屋城」などを観光してきました。
1日目の観光地は「名古屋城」『愛知縣護国神社』「名古屋東照宮」「那古野浅間神社」の4ヶ所です。
で、「名古屋城」を観光した後に『愛知縣護国神社』に立ち寄りました。私はできる限りその地域にある護国神社にお参りするようにしております。今回もお参りすることができて、良かったです!
ということで、今回は和歌山・熊野旅行1日目の2ヶ所目『愛知縣護国神社』にお参りに行って、御朱印をいただいてきたお話しをしたいと思います。
『愛知縣護国神社』の御由緒
1872年(明治2年)の5月に尾張藩主である徳川慶勝候が、「戊辰戦争」で戦死した藩士25人の御霊を、現在の名古屋市昭和区川名山に祀られ「旌忠社」と号したのが始まりです。
その後、第2次世界大戦の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの約93,000人の御霊を、護國の大神として祀られております。
神社名は、1875年(明治8年)に「招魂社」、1901年(明治34年)に「官祭招魂社」、1939年(昭和14年)に『愛知縣護國神社』と改称、戦後一時「愛知神社」と称したようですが、1955年(昭和30年)に『愛知縣護国神社』に戻されました。
鎮座地は、1918年(大正7年)に現在の名古屋市北区の名城公園に鎮座し、1935年(昭和10年)に現社地に遷座されました。
1945年(昭和20年)3月19日の名古屋大空襲で社殿は炎上してしまいましたが、1958年(昭和33年)11月に本殿・拝殿等が復興し、1982年(昭和57年)10月社務所が竣工。
1988年(平成10年)3月に神門・舞殿・廻廊が竣工し、戦災復興が完了し、現在に至っております。
『愛知縣護国神社』の御朱印をいただきました。
さて、今回も御朱印をいただいてきました。
『愛知縣護国神社』の御朱印は神門の左側にある「社務所」で御朱印をいただくことが出来ます。
こちらが今回いただいた『愛知縣護国神社』の御朱印です。
達筆です!その場で確認せずに、滞在先のホテルで確認したときに感動してしましました!
平日のお参りでしたので、全く参拝者もいなかったので、落ち着いた厳かな気持ちでいただくことができましたよ!初穂料は「お気持ちで!」と言われましたので、300円を納めました。
『愛知縣護国神社』のまとめと御朱印をいただくポイント
『愛知縣護国神社』へのアクセス
『愛知縣護国神社』へは、名古屋市営地下鉄・名城線「市役所」を下車し5番出口を出て徒歩7分、鶴舞線「丸の内」を下車し1番出口を出て徒歩10分です。
また、名古屋市交通局の市バスで、「名古屋駅」より「上飯田行」「大曽根行」「東区役所行」「市役所行」に乗って「外堀通」で下車し徒歩1分。「栄駅」より「安井町行」に乗って「外堀通」で下車し徒歩1分です。
今回私は「名古屋城」から歩いていきましたので5分もかからずに行くことができました。おそらく「名古屋駅」から歩いていくと30分くらいかかると思います。
『愛知縣護国神社』の専用駐車場
『愛知縣護国神社』には参拝者専用駐車場があります。
上の写真は、社務所の裏にある駐車場になります。その他、表にも駐車場があります。
『愛知縣護国神社』の駐車場は広めです。『愛知縣護国神社』をグルっと回っていると駐車場の入り口が分かると思いますので、心配なく車でお参りに行けると思います。
『愛知縣護国神社』を参拝する上での注意点
『愛知縣護国神社』に参拝する上での注意点は特にないと思われます。
『愛知縣護国神社』の御朱印をいただく注意点
『愛知縣護国神社』の御朱印をいただく注意点も特にないと思いますが、先ほども書きましたが、初穂料はお気持ちです。なので、ご自身のお気持ちの金額を用意しておいたほうが良いです。
『愛知縣護国神社』の情報のまとめ
『愛知縣護国神社』の駐車場:有り
『愛知縣護国神社』のオリジナル御朱印帳:有り・2,000円
『愛知縣護国神社』の御朱印の初穂料:お気持ち
※私は300円を納めさせていただきました。
社務所の対応時間:9:00~16:00
『愛知縣護国神社』もいい神社ですね!今回は電車の時間の関係でゆっくりすることはできませんでしたが、また来ることができたら、境内の慰霊碑などをゆっくり見学したいです。
ということで、愛知県の名古屋市に訪れた際には、ぜひとも『愛知縣護国神社』にお立ち寄りあれ!ではでは(^^)/。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。