この記事は約 5 分で読めます

秋田県の『秋田城跡』1200年前の貿易都市で歴史観光

こんにちは。

 

みなさん、1200年前の貿易都市がどこかご存知ですか?

 

今から1200年前、日本は平安時代でした。その頃の貿易都市と言えば福岡県の太宰府と秋田県の秋田市でした。日本は東南アジアの中でも有数の貿易国で、その文化の恩恵にあずかろうと様々な民族の人達が貿易都市で交易していたのです。

 

今回はその交易の跡が残る秋田県秋田市にある史跡『秋田城跡』と「秋田城」を研究している「秋田城跡歴史資料館」をご紹介します。

スポンサーリンク

秋田県そこはお城県だった!?

秋田城・1

 

秋田県の県内には秋田城のような天守閣のない、平安時代にある目的のために建てられたお城が2つあります。

 

1つは今回ご紹介する秋田城、もう1つは秋田県仙北市にある払田柵(ほったのさく)と言います。

 

お城を建てた目的とは、東北地方の制圧と平定と管理です。対象は、平安時代の日本で最も謎とされていた民族「蝦夷(えみし)」です。

 

「蝦夷(えみし)」の反乱を制圧し平定し、管理下に置くために作られた役所を「城柵(じょうさく)」と言い、秋田城と払田柵(ほったのさく)は、この役所に分類されます。

 

秋田県には他にもお城がありました。例えば秋田県湯沢市には鎌倉時代の武将小野寺氏の稲庭城、戦国時代東北地方の名士となった安倍氏の築いた港城と脇本城、江戸時代になってから築かれた秋田県の城の代表で佐竹氏の居城であった久保田城が主に挙げられます。

 

皆それぞれ、戦いによって無くなったり久保田城のように史跡公園になったりと様々ですが、秋田県の県内にはそのような史跡指定されているお城が沢山ありますので、もし興味のある方は、車でお城めぐりするのも良いと思います。

 

『秋田城跡』その歴史と魅力

秋田城・2

 

『秋田城跡』は文献によるとだいたい700年代前半に建てられたようです。その時はまだ、今で言う秋田県や青森県の南の方に住む「蝦夷(えみし)」達を管理するために建てられた1つの役所的な役割を果たしていましたが、日本海を挟んで現在の中国の東側(朝鮮半島)に住んでいた人達との交易が始まるとその生活は一変します。

の中心である都から遠く離れたこの秋田に、のちに都と同じ当時の最新の技術と食文化が流入し秋田の地に駐留したり、都に行くまでの数日間を外交使節団が過ごす建物が作られました。

 

その証拠が写真の建物↓です。

秋田城・3

 

この木造白木の建物、実は水洗トイレなんです。水洗トイレと言えば、今私達が使っている水で流すタイプのトイレですが、700年代の日本ではすでに、もう1つの貿易拠点である福岡県の太宰府と共に水洗トイレが導入されていたことがこの遺跡の跡が発見されたことで解明されました。

 

さらに、このトイレの跡からは豚に寄生する大腸菌まで見つかっており、1300年前に日本を訪れた外交使節団の方々が豚肉を食べていたことが分かっています。

 

『秋田城跡』の復元遺跡には他にも、外交官の方々が散歩したであろう古代の沼(池)や、迎賓館で働いていたと思われる人々の集落も残っており1300年前の世界をリアルに感じることができます。

 

「秋田城跡歴史資料館」が多くの人々に支えられてついに完成

秋田城・4

 

『秋田城跡』には復元された建物だけでなくその遺跡から見つかった貴重な資料を保存・展示する資料館、その名も「秋田城跡歴史資料館」があります。

 

写真は数年前に閉館した前の資料館の展示施設ですが、今年(平成28年4月)新築した資料館ははるかに広いスペースで豊富な資料を展示しております。

 

さらに、ジオラマや赤外線カメラ、映像スペースも用意され全く新しい博物館として生まれ変わっています。

 

また、この古い資料館の時代から続けられている、解説ガイドのサービスも復活しており、大人から子供までどんな人が訪れても楽しめる施設になっているんですよ。

 

『秋田城跡』と「秋田城跡歴史資料館」のススメ

秋田城・5

 

今回私が『秋田城跡』と「秋田城跡歴史資料館」をオススメした理由が2つあります。

 

理由1つ目はこの「秋田城跡歴史資料館」が本当に努力して活動しているためです。

 

『秋田城跡』のある史跡公園の中には写真のような小さな模型がいくつもあります。この模型、実は10年ほど前から続けられている『秋田城跡』の発掘作業に基づいた研究によって生み出された結果作られた、仮想秋田城の模型です。

 

出雲大社の隣にある島根県立古代出雲歴史博物館にも何通りもの古代の出雲大社の模型がありますが、これらの模型をいくつも作る理由は文献の解釈や出土した以降の解釈によって様々な様子を考えられるからです。

 

残念ながらタイムマシンがないため、歴史上の真実のことは何も変わりません。しかし、何が歴史の真実かは今生きている私達には推測することはできます。

 

そこで、歴史系の博物館で資金面に余裕のある博物館は「どれが本当かはわかりませんが、こういう形も考えられます」とあえて想定できる案を全て模型にする方法で、秋田城跡に来た方々に秋田城のことを紹介しています。

 

『秋田城跡』に携わる人達は、このような努力を展示に生かすことで、秋田城の真の姿を今を生きる私達に知らせてくれようとしています。

 

理由2つ目は、歴史に埋もれかけていた秋田県の誇る史跡「秋田城」の研究をしている「秋田城跡歴史資料館」が分かりやすく歴史を解説しているためです。

 

秋田城が栄えた当時は、日本の歴史では平城京が遷都された710年から遣唐使が廃止された894年あたりまでです。秋田城は先にもお話しした通り、1300年前の世界で最先端の技術を使って作られた迎賓館であり、シルクロードの東の終着地点です。

 

その魅力は歴史好きや現地を訪れた人にしか伝わらない難しさがあります。しかし、ひもといて学び直すと決して難しい歴史ではなく、リニューアルされた「秋田城跡歴史資料館」がさらに分かりやすく解説しているため、よりいっそう秋田県の歴史と魅力を理解することができるのです。

 

ぜひ秋田県を訪れた際には、リニューアルされた「秋田城跡歴史資料館」にも足を運んでみてください。

 

忘れてはいけない秋田名物・稲庭うどん

秋田城・6

 

『秋田城跡』の最寄り駅JR秋田駅の周辺には秋田県の誇る贈答用高級麺類、稲庭うどんを食べられるお店がいくつかあります。

 

稲庭うどんは明治時代まで寒い時期では育たなかった米に代わって収穫できた小麦を使っておもてなしをする際に作られたものです。うどんの中でも細く、そうめんのように食べられる稲庭うどんはこれからの時期もってこいの秋田名物です。

 

稲庭うどんも美味しい小麦粉・美味しい塩・美味しい水がなければ出来ないうどんです。秋田県には、美味しい小麦粉・美味しい塩・美味しい水が全部揃っています。

 

秋田県に立ち寄った際には、是非稲庭うどんも食べてみてください。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。皆様の旅のご参考になれば幸いです。

 

今回の観光地はココ↓です。

スポンサーリンク
パンダバナー